11月29日の日記

2004年11月29日
河原元バッテリー会長がスカウトに・・・・・・
それって・・・・・どうなんだー!!
まぁ、スカウトや、裏方さんや、コーチや監督になるのに、名選手である。と言うことは、基本的には関係ない。とは思っているけど・・・
っつーか、やはりこう、長年に渡り不思議な人選ってあるよなー。
何でこの人は、まだ解雇にならないんだろう。とか。←おい
それは、何かやはりコネ的な物、最初の契約時の物とか色々あるんだろうなぁ。
まぁ、別にいいんだけども(笑)
しかしだ・・・東大の松家くんが、その「背番号32を継承!」みたいな事を書かれていた・・・・
それって・・・継承って言うのか??今年しか「32」につけていない人の背番号を継承って言うのかー!?
それって・・・「警鐘」???って感じですよー!!
松家くん。めげずに頑張るのよー!!!

それから何度も言うけど「ポスト相川を目指せ」と言われても、微妙なんですよー!!!中塚さぁーん!!!
 
 
サントリーさんと、HONDAさんのCMが、昔すごく好きだった。
特にHONDAさんは、著名人を一切使わず、車の色気を前面に出していたのが、たまらなく好きだった。
雨の日の濡れた車体のCMなんて、当時なかなかなかった様に思う。タイヤのCMとかはきっと悪天候時はあったと思うけど(笑)
って、何で急に、そんな事を思い出したのか分からないんだけど、HONDA PreludeのCMと、サントリーの酒の種類は忘れたけど、SHOGUNの曲を使ったビールだったかなぁ・・のCMが、急に思い出されて「もう1回見たいなぁ」と、ふと思った。
黒のPreludeが、たまらなく色っぽかったのよねぇ〜。
 
 
携帯が枕元で「ムームー」言っている・・・
え・・もう起きる時間なの??(半ベそ)
5分後にもアラーム作動する様にセットしているので、手探りで携帯をとって、適当にボタンを押して切る。
すると、またすぐに携帯が「ムームー」鳴いている。
ん・・??これって電話か???
半開きの眼で見ると、仕事関係の名前が表示されている。
8時少し前。
最高に低音の魅力で電話に出る。
「は゛い・・・も゛し・・・も゛し?」
「すいませんー!!現場でトラブルがー!!」
「あー・・・はいはい・・・」
それを言われても、急に頭が動く訳でもなく、何とか布団から這い出して、メモを取る。
関係各位に連絡をし、途中から眼が覚めてくる。
結局、起きる時間より2時間ほど早く起こされた・・・・
眠いのよー!!
最近の休みはこんなんで起こされて休んだ気がしないのよー!!
 
 
 
昼頃に、中華街界隈に集合(笑)
姉の言っている事が良く分からず、結局、ご本人に会うまで、どういう関係の人に会うのか良く分からなかった。
最終的には「従兄弟」で、親父の兄の息子さんだった。
親父が長男。と言っていた姉だが、実際は、5人兄弟の5男坊だった。←全然ちゃうやん
産みの親系は、話し言葉が早い。
私も遅い方ではないが、それでも早口と感じる。そして主語がない。接続詞もおかしい。
繋がってない話しを話す時も「だから」が多い。
母、姉、兄、ともに、主語がない。
従兄弟の方、眼がきょとんとしている事が多かった(笑)
私も姉、兄、母の言っている話しが全然分からず、何度も中断して、「今のアレは誰なんだよ」「今の「あの時」って何時の事なんだよ」とか「その「だから」は、何の説明なんだよ」と、中断しまくり(苦笑)
君達親子3人は、色々知ってるし、状況分かってるから主語がなくても通じるけど、従兄弟さんと私は、良く分からんのじゃー!(笑)

従兄弟さん曰く、姉は、親父にそっくりらしい。
確かに若い頃の親父の写真を見せてもらったら姉に良く似ていた。
しかし、私はどうにも微妙らしい。
姉と兄には似ていない訳ではないが、叔母?とかその辺に似てるらしい。良く分からないけど(笑)
親父の母様(祖母)は、若い頃の写真を見る限り、とても綺麗な方だった。
姉と私が口を揃えて言ったこと「祖母の血が濃く出て欲しかったわよねぇ〜。」(笑)

話しに花が咲き(特に母親)夕方には解散だろう。と踏んでいたのに、2件目に行くことにはなるし、帰ろう。となったのは20:00頃だった・・・
兄と母は良くしゃべっていた。
まぁ、兄と姉の愚痴を聞かされるだろう。と思ってはいたけど、家族揃って長話しになるとは予想していなかった。と言うか、母がくることを、当日会うまで知らなかったし(笑)

そして大笑いしたのはこの話し。
親父の何代か上が、ヤ●ザさんの大親分だったらしい(爆)
抗争で、組は解散したそうだけど(笑)
従兄弟さんが持ってきてくれたセピアの写真には、まさに、血ですかね。と思われる様な親父のオールバックの写真があったりして大笑いだった。
女に滅法だらしなく、ムチャをしまくり、見栄っ張りだった親父の昔話しを聞いていると、やはりそこに、古き良き日本を感じたりする。
「バカだったんだねぇ」と、言いたくなる様な話しもあったけど、それでも、その時代を渡り歩いて行こうとしていた親父は、親父なりに、生きていたんだろう。
従兄弟は「叔父さんは、すごく魅力的だったし、あこがれだった」と言っていた。
従兄弟さんが、親父の様にならなくて良かった。と思いつつ、それでも、親父を格好良い。と思う気持ちも何となく分かる気がした(笑)
バブル期に、新幹線で行けばいいのに、敢えて高級ドイツ車(笑)で実家に乗り付け、自動車電話を見せびらかし、そうやって粋がっていた親父は、商売をしていた実家を出た手前の見栄もあったのだろう。
そんな父の見栄っ張りぶりは、兄も姉も、勿論私も受け継がなかったので、それは良かったかな(笑)

しかし、こうして遺伝子の中にいても、結局しっくり来ることもなく、どこか宙ぶらりんな自分を感じて帰ってきた。
正月に遊びに来い。と兄は言っていた。
一緒にいてしんどい訳ではない。
でも、ごめんね。兄貴。きっと行かないと思う。
 
 
姉は病床の親父を見舞った時のことを私に話した。
「あいつは、あんたの事なんて覚えてないに決まっている。だから、あんたを見舞いに連れて行くのをためらった」と・・・
躊躇っているあいだに、親父は亡くなった。
親父が家族を捨てたあと、私の「家庭」に届いた私宛の手紙には「申し訳ない」と親父が綴った35年前の短い言葉が残されている。
覚えていなくてもいい。
一度は見たかった。
でも・・。病床で、元気な頃とは別人の様になっていた父を見るよりも、こうして元気だった頃の写真だけを見ている方が、見栄っ張りの父には良かったのかもしれないね。
きっとあなたは、私に弱りきった自分を見せたくなかったのかもね。
初対面がそれじゃね(笑)あなたはきっと嫌だったよね。
だから、私が会いに行く前に、逝ってしまったのかもしれないね。


「いつか、遊びに来て下さいね」
従兄弟さんはそう言って帰って行った。
家に訪ねることはなくても、一度、父が育った場所を見に行こうと思う。
海がすぐ近くにあるらしいその場所へ。

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