11月22日の日記
2004年11月22日「弟」
見るつもりは全然なかったが、何となく見てしまった最終回。
三浦友和さんが、裕次郎さんの役をやるんだぁ・・。
と、ちょっと違和感を持っていたけど、最終回を見る限り「あぁ・・ちゃんと色々研究したんだなぁ」なんて思った。
ふとした話し言葉に、ブラウン管を通してみていた石原裕次郎という役者が蘇る。
ドラマを見ながら、いかに生きるか、いかに死ぬか。そんなものを考えた。
平凡な人間には、たいした選択肢はないけど。
そこで最近目にした言葉を思い出す。
「死がないから生がない」
危険なことはたくさんある。
一見平和な日本も、歪んでしまった構造がたくさんある。
隣の誰かに、隣の誰かを、いつ殺してしまうのか、いつ殺されるのか分からない様な世の中。
それでも、日本は平和で、そして、余生が長い。
そして、多くの人が「生」を、感じることなく生きている。
だから、余計に「死」が、あやふやなものになる。
でも、本当は、その「死」は近くに潜んでいたりする。
猟奇殺人。
快楽殺人。
これは「死のない生」を生きる時代、世の中の産物なのだろうか。
不自由がない様で、不自由だらけの世の中。
そういった物が生み出した、時代の歪みなのだろうか・・・。
って、全然「弟」じゃない方に発想がいってしまった・・・・。←いつものこと
会った事のない親父の遺産放棄の話しで、会った事のない義弟?うん?腹違いの弟?に週末会う事になった。
親父の残した土地の名義の中に、姉、兄、そして私の名前があったそうだ。
これは、親父の後ろめたさから来たものなんだろうか。
私達を捨てたことは、彼の中で、しこりになっていたのだろうか・・・。
それとも、言うことが阻かられていた彼なりの愛情表現なのだろうか・・・
私は、親父に恨みはない。何も。
ただ、会いたかった。
一度くらいは、見てみたかった。触れてみたかった。
豪快だった。
と言われる親父に会ってみたかった(笑)
姉と兄に会うのも、久しぶりだ。
姉、兄と言っても、一緒に生活をしたことはないけど。
弟に至っては、会うのも初めて。
でも、私は何だか楽しみなのだ。
父の面影をやはり持っているのであろう弟に会えるのは、ちょっとワクワクする。
兄は、最近すっかり愚痴っぽくなったそうだし、姉は姉で、やっと自立したそうだし、弟は別としても、兄と姉とはしばらくぶりに色々話すことになるのかなぁ。
って、結局は、兄と姉の愚痴を聞いて終わりそうな嫌な予感がするので、早めに切り上げよう(爆)
しかし、血と言うのは不思議だ。
ガンとして、自己の遺伝子を貫こうとする。
私は、特にそういう遺伝子が強かったのかな。なんて思ったりもする・・・
かと言って、その遺伝子の元で、遺伝子と共に生きよう。とは全然思わない(笑)
ただ、「家庭」と言う与えられた環境の中では、ガンとして、自己の遺伝子を曲げようとはしなかった。
与えられた家族と言う環境に従える何かがあれば、実家もまた、居心地の良い場所になり得たのかもしれない。
あ・・・そうだ。一度くらいは、親父の墓参りにも行かないとなー。
墓の場所くらい聞いておかないとな。
遺産なんて、遠い話しだと思っていたけど、もうそういうのが近くなって来る年齢なんだねぇ〜。私も。
買い物慣れ。
たまには、買い物とか行かないとなー。と何となく思う。
でも、実際は、気持ちと時間に、かな――り余裕がないと買い物に行かれない(笑)
電化製品とかCD屋を見て回るのは割と平気なんだけどなぁ。
服とか靴を見に頑張って行ってみても、すぐ疲れてしまう。だらしない(笑)
元々の人混み嫌いも、拍車をかけてるのかもしれないけど(笑)
とにかく、それなりのエネルギーと勢いがないと、服とかは買いに行く気になれない。
自分の趣味や嗜好なんて言うのは、年齢がいってもあんまり変わっておらず、本来は、かなりの派手好き。(柄の悪そうな物が好きとも言うが)
でも、そういう服を見ていると「いつまでも、こんな服着てるようじゃいかんのかなぁ」とか、「何を着てもなー・・・」とか、つい思って、行く前に萎えている。
なので、必然的に、物を大事にしている様な感じになる(笑)
買う時は、派手な物が欲しい割には、オーソドックスな物を買う事が多いので、何年でも着れるし。
20代後半くらいまでは、ちょくちょく服を買っていたし、買うことに関しても多少は、楽しめていたのになぁ〜。
いけませんわぁ〜(笑)
ドラエモンの声優さん達が交代かぁ・・・
25年一緒に歩いてきていたら、やっぱり寂しいよなぁ・・・
でも、皆様の平均年齢が60代後半。本当、お元気ですよねぇ〜。
これからも、まだまだ活躍して下さいませ!
声優さんが変わってしまったドラエモンって、どんな感じなのかなー。
うーん・・・・
小劇場系だったらなぁ・・・・・
見るつもりは全然なかったが、何となく見てしまった最終回。
三浦友和さんが、裕次郎さんの役をやるんだぁ・・。
と、ちょっと違和感を持っていたけど、最終回を見る限り「あぁ・・ちゃんと色々研究したんだなぁ」なんて思った。
ふとした話し言葉に、ブラウン管を通してみていた石原裕次郎という役者が蘇る。
ドラマを見ながら、いかに生きるか、いかに死ぬか。そんなものを考えた。
平凡な人間には、たいした選択肢はないけど。
そこで最近目にした言葉を思い出す。
「死がないから生がない」
危険なことはたくさんある。
一見平和な日本も、歪んでしまった構造がたくさんある。
隣の誰かに、隣の誰かを、いつ殺してしまうのか、いつ殺されるのか分からない様な世の中。
それでも、日本は平和で、そして、余生が長い。
そして、多くの人が「生」を、感じることなく生きている。
だから、余計に「死」が、あやふやなものになる。
でも、本当は、その「死」は近くに潜んでいたりする。
猟奇殺人。
快楽殺人。
これは「死のない生」を生きる時代、世の中の産物なのだろうか。
不自由がない様で、不自由だらけの世の中。
そういった物が生み出した、時代の歪みなのだろうか・・・。
って、全然「弟」じゃない方に発想がいってしまった・・・・。←いつものこと
会った事のない親父の遺産放棄の話しで、会った事のない義弟?うん?腹違いの弟?に週末会う事になった。
親父の残した土地の名義の中に、姉、兄、そして私の名前があったそうだ。
これは、親父の後ろめたさから来たものなんだろうか。
私達を捨てたことは、彼の中で、しこりになっていたのだろうか・・・。
それとも、言うことが阻かられていた彼なりの愛情表現なのだろうか・・・
私は、親父に恨みはない。何も。
ただ、会いたかった。
一度くらいは、見てみたかった。触れてみたかった。
豪快だった。
と言われる親父に会ってみたかった(笑)
姉と兄に会うのも、久しぶりだ。
姉、兄と言っても、一緒に生活をしたことはないけど。
弟に至っては、会うのも初めて。
でも、私は何だか楽しみなのだ。
父の面影をやはり持っているのであろう弟に会えるのは、ちょっとワクワクする。
兄は、最近すっかり愚痴っぽくなったそうだし、姉は姉で、やっと自立したそうだし、弟は別としても、兄と姉とはしばらくぶりに色々話すことになるのかなぁ。
って、結局は、兄と姉の愚痴を聞いて終わりそうな嫌な予感がするので、早めに切り上げよう(爆)
しかし、血と言うのは不思議だ。
ガンとして、自己の遺伝子を貫こうとする。
私は、特にそういう遺伝子が強かったのかな。なんて思ったりもする・・・
かと言って、その遺伝子の元で、遺伝子と共に生きよう。とは全然思わない(笑)
ただ、「家庭」と言う与えられた環境の中では、ガンとして、自己の遺伝子を曲げようとはしなかった。
与えられた家族と言う環境に従える何かがあれば、実家もまた、居心地の良い場所になり得たのかもしれない。
あ・・・そうだ。一度くらいは、親父の墓参りにも行かないとなー。
墓の場所くらい聞いておかないとな。
遺産なんて、遠い話しだと思っていたけど、もうそういうのが近くなって来る年齢なんだねぇ〜。私も。
買い物慣れ。
たまには、買い物とか行かないとなー。と何となく思う。
でも、実際は、気持ちと時間に、かな――り余裕がないと買い物に行かれない(笑)
電化製品とかCD屋を見て回るのは割と平気なんだけどなぁ。
服とか靴を見に頑張って行ってみても、すぐ疲れてしまう。だらしない(笑)
元々の人混み嫌いも、拍車をかけてるのかもしれないけど(笑)
とにかく、それなりのエネルギーと勢いがないと、服とかは買いに行く気になれない。
自分の趣味や嗜好なんて言うのは、年齢がいってもあんまり変わっておらず、本来は、かなりの派手好き。(柄の悪そうな物が好きとも言うが)
でも、そういう服を見ていると「いつまでも、こんな服着てるようじゃいかんのかなぁ」とか、「何を着てもなー・・・」とか、つい思って、行く前に萎えている。
なので、必然的に、物を大事にしている様な感じになる(笑)
買う時は、派手な物が欲しい割には、オーソドックスな物を買う事が多いので、何年でも着れるし。
20代後半くらいまでは、ちょくちょく服を買っていたし、買うことに関しても多少は、楽しめていたのになぁ〜。
いけませんわぁ〜(笑)
ドラエモンの声優さん達が交代かぁ・・・
25年一緒に歩いてきていたら、やっぱり寂しいよなぁ・・・
でも、皆様の平均年齢が60代後半。本当、お元気ですよねぇ〜。
これからも、まだまだ活躍して下さいませ!
声優さんが変わってしまったドラエモンって、どんな感じなのかなー。
うーん・・・・
小劇場系だったらなぁ・・・・・
コメント